平成12年「納めの観音・年末の会」説教録
ものの尊さ
山形県常福寺住職 檜山浩宗

 昨年12月18日に行なわれた「納めの観音・年末の会」は、 三河観音の名で知られる山形県常福寺住職、檜山浩宗老師に10年振りにお話をいただきました。

古い「もの」ほどありがたい

 みなさん、お久し振りでございます。ちょうど10年前(平成2年)のこの日、 やはりこの場所でお話をさせていただきました。今日はみなさんにまたお目にかかれるのを、 楽しみにして参りました。

 みなさん方、お読みになっていると思いますが、成願寺の季報がございます。 その6号に当時の話が載っております。どんなことをしゃべったのか読んでみましたら、 人間は百二十歳まで生きるんだなんてことが書いてありました。ですけどその方法までは、 この前お話しする時間がなかったのね。ですから今日は話の中で、百二十歳まで生きるための 方法をお教えしたいと思います。

 さて本日の題は「ものの尊さ」。「もの」とひとくちに言ったって、ここに坐っているみなさんも 実は「もの」なの。わたしを含めてだいぶ古くなった「もの」なのです。新しい「もの」より、 古い「もの」ほど尊いんですよ。ですけどきのうは、福井県で電車の衝突事故がありました。 新聞を読みましたら、1927年製、72年前の台車を使っていたと書いてありました。 古い「もの」ほど尊いと申しあげましたが、管理が悪いとこうして事故を起こします。 私たちも、やはりブレーキなりエンジンなりをその都度調整しておかないと、百二十歳まで 生きるのは難しいんですね。

 ところでこのなかに、百二十歳までなんてたくさんだという人はいる? うちの女房は よく言うんです。「百二十歳までなんて……、おじいちゃんも、そろそろ準備してくれたら」。 みなさんも、おじいちゃん、おばあちゃんのご夫婦の会話では、「そろそろ逝こうかい」 なんて話をするかと思います。しかし誰でも本音は、1か月でも、1日でも、元気で長生きを したいと思われています。でもね、ただ長生きするのもだめなのよ。 私も七十四歳になりましたが、山形からこうして来て、人さまの前で堂々としてしゃべられるように、 元気で足腰が立つことが望ましい。ただ、「あれ、山形の方丈さん、もう逝った」というのが、 明日になるか、1か月後になるか、それはわかりません。それはお互いさま。ここにお坐りの方々も 来年また「納めの観音」にお詣りに来れる保証は誰にもない。来年もお詣りしたいというのであれば、 それなりの精進が必要だというわけです。

 わたしのお寺にも観音堂がございます。お堂の中に、このくらい大きい丸い納豆鉢という鉢が 掛けてあります。この鉢は名前のとおり、納豆餅を食べる時に使う鉢。納豆をお醤油やみりんなどで といて、お餅を入れて、お餅に納豆を絡ませて食べる時に使った鉢です。この納豆鉢は、 わたしのところの山辺町という30軒ほどの農家ばかりの集落で、共有していた鉢でした。 他にもお椀やらお膳やらを共同で持っていて、何かの時はみんなでそれを使った。

 ですけど、古くなれば何でもそうですが、朽ち果てます。この納豆鉢も朽ちて欠けてしまい、 納豆鉢としての用がたたないというので、燃やすことになった。田舎のことですから、 薪をぼんぼん炊いている大きな炉がある。いままさに炉に燃やされんとしたその時、 「ちょっと待って、燃やすんだったら、それをわしにちょうだい」ともらい受けました。 もう30年ぐらい前の話かしら。それから観音堂へ掲げてございます。

 みなさんも、今度の秋にお詣りにみえますね。その時、納豆鉢をごらんになってください。 ただ掲げたのでは意味もございませんので、「納等婆爺」としました。ばばあもじじいも 等しく納まる。いままでこの集落で育った人間誰しも、この納豆鉢のお世話になってきました。 その「もの」を、用にたたなくなったから燃やそうでは、あまりにもうかばれません。 「納等婆爺」と鉢のなかに書いて、みなさんがお詣りに来たら、まずこの鉢に手をあわせる。 そうすれば、いままで「もの」であったのが、お詣りの対象物、一つの仏さまになる。 「もの」も仏さまになれるんだ、なったんだと言えるかと思います。われわれだって古い「もの」 ですからね。古いものから捨てられようとしているこの頃でしょう。 「じいさま、ばあさま、引っこんでろ」と言われかねないこの頃です。でも、もう1回 役に立とうかと思う。「誰かおれを使っておくれ」ではないと思うのよ。自 分から何かの用に立ちましょうと動くんです。

 そこへ坐っているこちらの若さん、まだまだ子どもだったのが、いまでは2人の子の親だと いわれて歳月を感じました。人間、もちろん若い者はだんだん成長していく。 わたしらも、実は成長していっているのね。わたしも百二十歳まで、あと46年間成長する つもりでおります。ただし、年々歳々衰えていくのは事実です。昭和2年生まれのわたしも だいぶ古くなりましたが、精進しながら、まだ役に立つ、役に立とうとがんばっております。


姥捨山に学ぶ

 しかし、自分がそう思っておっても、世間ではお年寄りを、またすべての品物をふくめて、 いわゆる古い「もの」をどう思っているのでしょうか。

 ここで「姥捨山」という物語を、声を大にして申しあげたいと思います。 みなさんご承知ですね。おじいちゃん、おばあちゃんから聞かされて耳に残っているでしょう。 そしたらみなさんは、この話を孫たちに聞かせていますか? おそらく聞かせていない。 おじいちゃん、おばあちゃんから聞いた話を、今度は自分たちが孫たちに聞かせてあげましょうよ。 聞かせていかなければ、せっかくの物語が途絶えてしまいます。

 姥捨山はどこにあるかご存じ? そうです、長野県。長野盆地の南西部にある山が姥捨山です。 その昔、更科の国のお殿さまは、年寄を嫌って60歳を過ぎれば山へ捨てよという掟をつくった。
 さて、わが家にも60歳になるおっかあがいる。国の掟に背くわけにもまいらないので、 せがれは毎日の仕事も手につかず、おっかあをいつ連れて行こうか悩んでいる。母親は母親で、 もちろんわが年が60歳になったことを先刻承知しているわけです。

 そしてある日のこと、「おっかあ、きょうのお月はいいお月だ。月見するには今宵がいちばんだ。 どうせだったら、山の上がきれいに見えるだろうよ」と、何かしらの食べ物をこしらえて、 せがれは母親をおんぶして山を登っていった。

 しばらくのあいだ親子水入らずで、月を愛で、何やらを食べて楽しんだはいいが、 「おっかあ、実はここへ来たのは……」、「みなまで言うな。先刻わしは承知で来た。 元気で暮らせよ。時におまえ、里へ下るに迷わずに帰れよ。道すがら、枝を折って は捨て折っては捨てて来たから、それを目印に下れば迷わず里へ下れるだろう」。 これは親心ですね。いま捨てられるわが身が、せがれを案じているわけです。

 さあせがれは、おっかあを山に置いて帰ってきたものの、寂しくてたまらない。 あんな大事なおっかあを、このままなんで山へ捨てられようか。そう思うとまた山へ引き返して、 その夜のうちに連れて帰った。家の床をはがし、穴蔵を掘って、おっかあを かくまう部屋をつくった。

 そうして何事もなく時が進んだ頃、更科の国のお殿さまに隣の国からの召使がやってきた。 「わしは隣の国の者だが、今日はこういう問題をもってきた。解ければよし。解けなければ おまえの国を攻めほろぼすぞ」と言って出した問いが、「灰で縄をなってみせろ」だった。 これには、お殿さまも困った。側にいる者も誰もわからない。しかしこの問題が解けなかったら 一大事。隣の国から攻めほろぼされてしまうというので、「この問を解ける者があれば申し出なさい」 と辻々に立看板を出した。

 それを見た先ほどのおっかあ思いのせがれ、穴蔵にかくまっているおっかあに聞いてみた。 すると「その話ならばあちゃんから聞いたことがある。それにはな、わらでなった縄を しょっぱいぐらいの塩水に浸して、それから火にくべれば、崩れずにそのままの姿で灰になる」。 なるほどなるほどいいことを聞いたと、その話を早速お殿さまのところへ行って申しあげた。 隣の国の召使も、「この国にも利口者がいるんだな」とすごすごと帰っていったというんです。

 ところがしばらくしたら、また別な問題をもってきた。玉に入り口と出口があって、 中がくねくねになっている。これに細い糸を通せとの問い。またこれがうまく通らない。 しかたなくこの前と同じように立看板を立てる。それをまたおっかあ思いのせがれが見て、 相談をした。するとおっかあ、「それはじいちゃんから聞いたことがある。それにはな、 アリの胴腹に糸をつけ、こっちのほうに甘い蜜やら砂糖湯と置く。アリは甘いのに誘われて 入っていく」。これでまた問題が解けた。お殿さまに申しあげ、2度までも召使を帰すことが できた。

 2度あることは3度あると言いますが、今度は大きな2頭の馬を連れてきた。「この馬、 顔つきも毛色も大きさも同じに見える。しかしこれは親子である。どっちが親でどっちが子か 見分けよ」というのが問題だった。

 さあ、誰が見ても同じだというんです。牛の親子の見分けかたはご承知ですね。歯の減りぐあい でわかる。ところが馬はわからないというんです。また穴蔵のおっかあの世話になるはめです。 「それもじいちゃんから聞いたことがある。それにはな、馬を向き合わせておいて、青草を刈って きたものを真ん中にどさっと置く。最初食べはじめるのは子馬なんだ。その様子をじーっと 見ていて、子馬が残したのを後でゆっくり食べるのが親馬なんだ」。子馬、親馬、見事に 見分けがついたというわけです。

 これで3問とも見事に解いた。隣の国の使いも、まだまだこの国には利口者がいるな。 これじゃおいそれと攻め入ることはできないと諦めて、それっきり来なかった。 これでめでたしめでたし、お殿さまから、「望みの褒美をつかわすから、遠慮せず言うてごらん」 となった。おっかあ思いのせがれは、こう言った。「実は私は、60歳になった年寄りを山へ捨てよ という掟にふれております。1回捨てにいった母を、いま縁の下の穴蔵にかくまってございますが、 このたびの3問とも答えを出してくれたのはその母です。じいちゃん、ばあちゃんという 前の人の知恵が代々伝わって、今日ここで回答できたのも、古い者の知恵の蓄積でございます。 お殿さま、ご褒美は何もいりませんが、私の母親のいのちのみならず、国じゅうのお年寄りを 大事にしてもらいたいというのが、私の望みでございます」。

 言われているあいだ、お殿さまは恥ずかしくなった。「わしはおろかであった。いままで 年寄りは汚いものと思って毛嫌いしておった。けれども、こうして国を助け、わしを助けてくれた のはお年寄りの知恵であったか」。いままでの掟は早速取りやめになって、今度は、 「年寄りを大事にしなさい。目上の者を尊びなさいよ」ということになったというお話です。

 いまはもちろん年金はもらえるし、医療費もかからない、まずは幸せな世の中だろうと思います。 ですけどその幸せにあぐらをかことなく、お返しに何か、国のために、地域のために、 うちのためにしなければ、単に年を取っていくばかりなのです。

 この「姥捨山」の昔話、今日お帰りになったら、早速子どもらに聞かせていただきたいと思います。
「歩く」、「粗食」、「北枕」が元気のもと

 さて、時間も進んでまいりましたので、約束どおり百二十歳まで生きる方法を申しあげましょう。 それとも百二十歳まではたくさんですか。それにしても、いかにして九十、百まで元気でおれるか ということが問題です。

  それにはまず歩くことです。何よりも歩くこと。だけども、この頃では歩くことは容易ではない ですね。1日に人は何歩ぐらい歩くと思いますか。せいぜい4千歩です。歩いたなと思っても6千歩。 人間、1日1万歩歩かなければ健康にはならないのよ。だけどもこれがなかなかむずかしい。 この頃は車社会で、バスに乗るためにバス停に行くのも車で行くものね。車は人間をだめ にします。健康管理のために、まずは歩くことを心がけてください。

 2番目は粗食です。食べ物のうちでいちばんお粗末な物って何かご存じ? 菌です。 それが証拠にお酒があります。酒は百薬の長というでしょう。ほどほどに飲めば、お酒はからだの ためにほんとうにいいのです。では、からだにもっとも悪いのは何でしょう。肉です。 牛肉、豚肉、鶏肉などはからだに悪い。ただしうまいから困ります。

 われわれがご法事でお檀家さんに伺うと、とっておきのごちそうを用意してくださる。 でもね、もしも1日に法事が3つあって、ごちそうを全部ちょうだいしたら、とっても体が もちません。むかしは、1汁1菜といいました。せっかくごちそうをつくってもらって申し わけないんだが、美食はいのちを縮めます。粗食がいいのです。

 3番目、北枕。寝る時の姿勢です。今夜から北枕で寝ましょうよ。抵抗がありますか。 でもね、お釈迦さまが北枕で休んだのよ。「世の人々よ。寝るすがたはこれなんだ」と 示してくださった。北枕で西向き。おのずと心臓が上にきます。心臓は夜通し働いてくれて いるんだから、いたわりの気持ちで北枕、西向きで寝る。頭寒足熱と申しましょう。頭を冷やして 足を温める。同じお部屋でもやはり北のほうは涼しいのです。こういった、自分の体に対しても いたわりの気持ちがあれば、百二十歳まで生きる可能性に近づけるのではなかろうかと思います。

 みなさままだお若いのです。いまからの人生、余生ではないですよ。いまからの人生を元気で、 しかも人さまの役に立てるように、歩くことを怠ってはだめ。おいしい物ばかり求めたのではだめ。 北枕をして、寝るときの姿勢までも心遣いをしていただきたいと思います。

 以上で時間がまいったようでございます。また秋にお目にかかれるのを楽しみにしております。 ご静聴ありがとうございました。

合掌


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