平成15年 盂蘭盆会説教
 
支えあって、共に生きる

     伊東市 林泉寺 住職 大沢礼三


 しばらくの時間、お耳を拝借いたします。成願寺様と林泉寺とのご縁は、こちらの
先住小林義堯大和尚様が伊東の弘誓寺にお住みになっていた大正時代からと伺ってい
ます。そんなことから、本日は皆様の前でお話をさせていただくことになりました。
 さて五月の連休の頃、新聞・テレビの花だよりで、林泉寺の藤をご覧いただいたことが
あるかもしれませんが、私どもの境内に県の天然記念物に指定されております
樹齢300年余りの藤の古木がございます。その花房は長いもので約1.5メートル、
短いものでも90センチはございましょうか。見頃の時期には関東一円よりお詣りがご
ざいまして、花を楽しんでいただいております。みなさまもぜひ花見においで下さい
ますようお話し申し上げます。

ふれあいの大切さ
 林泉寺のございます荻という地区は、私が子どもの頃は130軒ほどの集落でした。
ですから地区の全員がお檀家さんで、家族のような親戚のような昔ながらのこころの
通ったおつきあいのある場所でした。その辺で私が遊んでいましても、お寺の子だと
みんなわかっていますし、こちらもどこの家のおじさんだ、おばさんだとわかってい
ますから、安心してのびのびと奔放に育ちました。そういった環境が人間というもの
を育てていた時代だったと思います。
 それがだんだんと周りの景色が変わってきまして、気がついたときは近所に知らな
い家だらけ。東京ですと当然のことなのかもしれませんが、少し寂しいような、さら
にはこういった地域のつながりの希薄さ、人と人との関係の希薄さがさまざまな問題
を生んできているような気がしてなりません。
 昨今テレビをつけますと、子どもたちの起こしてしまった、私たちには想像もでき
ないような事件がニュースで流れます。でも、子どもの引き起こす事件は、私たちお
とながその要因をつくっているのではないかと思うのです。いろんな意味において、
人は人によって育てられるものだと思います。それには人とのふれあいが肝要です。
親や祖父母はもちろん、近所の大人たちともふれあいが必要。さらには、いまは一人っ
子も多くなっておりますので、ご近所同士の子どもたちのふれあいも必要だと思うの
です。
 私には小学校5年生と3年生の子どもがおります。よく友だちが遊びにきています
が、何をして遊ぶのかと見ていますと、はじめは1人か2人でゲームをやっていて、
もう一人はこっちで本を読んでいます。またもう一人はなにかおもちゃをいたずらし
ている。あれ、これは一緒に遊んでいるのではなくて、一緒にいるだけだなと気が付
きました。なにもふれあっていないのですね。
 そこで、遊びに来ている子の親御さんに、「うちへ来たときはうちの方針でやらさ
せていただいてよろしいですか」と申しあげましたら、「子どもが楽しく過ごす分に
はかまいません」とお返事をいただきました。了解も得ましたので、子どもたちに、
「大勢集まったら一つのことをみんなでやろう。駐車場でサッカーをやってもいいよ。
もしそこへ車が来たら、話し合って今度は違うことをして遊ぼうよ」と声をかけまし
た。
 そうしたら、やはり子どもですよね。ちゃんとできるのです。全員でひとつの遊び
に夢中になる姿を見て、ちょっとほっといたしました。昔から、何人かの子どもが集
まれば、なにか遊びだす。子どもは無限の知恵、柔軟な知恵をもっているのです。そ
れなのに、テレビではさまざまな子どもの犯罪のニュースが流れる。お寺の庭で遊ぶ
子どもたちと、なにが違っちゃったのでしょう。
 そこに、人とのふれあいの希薄さがある。人のこころというのは、ふれあってはじ
めて成長してまいります。でもいまは、インターネットやメールなどが普及して、便
利な世の中になりました。
 本来ならば会いに行って、または電話で自分の言葉で伝えたことが、メールでは画
面上の文字だけ。または知らない人とインターネットの世界だけで、匿名で行なうや
りとりなんていうのもある。そこに、思いやりとか、人間らしさが一体どこまである
のか。
 私もメールなどは便利に使う一人ですので、もちろんすべてを否定しようとは思い
ません。でも、たとえば電話ならば、伝える事柄への思い、相手の人柄や状況、また
健康状態までくみ取れたということが確かにあった。便利なだけのつきあい、希薄な
つきあいのなかで、子どもたちはどう育っていくのか。そういうことをよく気を付け
て、おとなは見守っていかなければならないと思うのです。
 今日のお話に、「支えあって、共に生きる」という題をつけさせていただきました
けれども、緑も動物も人間も、同じ一つの地球に生を受けた仲間です。この一番根本
的なことを、人々は忘れがちではないかなと思います。草木がなかったら人間は息が
できなくなってしまう。水が汚れたら病気になるかもしれない。動物がいなかったら、
食物連鎖も成り立ちません。こういったことを、特におとなは忘れていないでしょう
か。おとなが忘れてしまうと、子どもたちに伝えていくことができません。テレビや
本もたくさんの大切なことを伝えていきますが、子どもの近くにいるおとなが自分の
言葉で伝えていく。そういったことが子どもにいい影響をあたえていくのではないか
と思うわけです。

教頭先生からいただいた言葉
 私が中学1年の時、廊下を歩いていましたら、牧野先生という教頭先生に呼びとめ
られました。思い当たることはなかったものですから、「先生、なにか悪いことしま
したか」とお聞きしましたら、「ううん。そうではなくて、大沢君はいつもにこにこ
しているよね。それを一生続けてね」と言われました。
 このことばは、私のこころに刻んである大切なことばです。自分がにこにこしてい
る気持ちでいられること、そうしていられることを周りに感謝しよう。周りの人に生
かさせていただいているということを、忘れないようにしよう。自分がにこにこする
ことによって、周りもにこにこしてくれる。それでも、自分のこころのなかに、なん
らかの苦しみとか迷いとか辛い思いが生じるときがあります。でも、それを表に出す
まいと思う。
 そんな、辛い思いをこころにしまっているときに、周りの人にいいことがあった。
「よかったね」とみんなでにこにこしているその輪に入れていただきますと、自分の
苦しみ、悩みのちっぽけさ、人間の小ささをいやというほど感じさせられます。一緒
に笑って辛い思いから解き放っていただいたとき、こころを向ける方向が自然に見え
てくる。周りの方々のこころの力をいただいたなという思いがするわけです。

こころの許し合える友
 私の友人に、高校時代、一緒にテニスをやり、一緒に県の代表選手になった仲間が
います。彼は体育系の大学にテニス専門で進みました。私はテニスの道をあきらめ、
駒澤大学へ入りました。しかし私はテニスから離れきることができずに、練習を続け
てインストラクターの資格を得ました。彼のほうは大学で腕を磨き、インカレ選手と
して大学選手権で活躍。卒業してからサラリーマンになりました。
 そのスポーツマンであった彼が、ある日突然下半身不随になってしまったのです。
連絡をもらって、驚いて飛んで行きました。「どうした」と聞きます。「足の感覚が
なにもないんだ」「なに?」「骨髄梗塞だってさ」「なんなの?」「脊髄のなかで血
管が詰まっちゃった。だから下半身になにも感覚がない」。そして彼が私の顔を見て、
「おまえも思い詰めるなよ」と言うのです。こっちは涙です。こちらが励ますところ
を、彼が私を励ましているのです。
 入院生活を半年間続けました。私もコツコツと彼のところへ通いました。そうした
らある日「リハビリがはじまった」と言うのです。毎日お風呂へ入って足をもんでも
らうことからでした。彼はその効果にあまり期待をしていないようでしたが、「可能
性があるならやってみよう」。私も彼も身長165センチ。それで大学のテニスで
トップクラスにいた人間でした。「おまえ、その身長でいままで意地はってきたんだ
もの、意地の結果をここで出さなかったら、奥さん、子どもがかわいそうだ。おまえ
の負けん気で、今度は病気に向かっていくしかないだろう」。そういう話しを何度か
重ねて、「そうだな。やってみようかな」という気持ちになってくれたのです。
 それから4年ほどが経ちました。今も足の裏にあまり感覚がないといいます。それ
でも驚くことなかれ、テニスはできませんが、ゴルフはやっております。普通ゴルフ
がうまい人というと、スコアが九〇を切るか切らないかです。彼のスコアはというと
九〇を切ってくる。最近は彼も強気になりまして、「身体障害者に負けるようなゴル
フだったら、おまえらやめちまえ」なんて、そんなことばを言えるようになりました。
 彼がここまでやれたのは、彼自身の努力、そして周りの人たちの支えがあったので
はないかと思います。周りの人とのこころのふれあいが彼をリハビリに向かわせた。
そしてその支えに無言で返事をするしかないんだというのが、彼の答えだった。いま
は立派な返事を見せてくれてるなと思っているわけでございます。

 お互いが声を掛け合える世の中に
 私が大学に通っている時、ずっとお世話いただいた高輪のお寺さんの奥さんが、先
日、私どものお寺のほうにお見えになりまして、「バスを降りたら気持ちよかったよ」
とおっしゃるのです。バスから降りてお寺まではたった一分ぐらいの距離ですけれど
も、その間を歩いてきたら、子どもが「おばちゃん、こんにちは」と言ってくれたと
いうのです。
 都会でしたら、知らない人の顔を見たらすぐによけてしまう。先ほど私どもの地区
にも新しい家が増えましたとは申しましたが、まだ都会ほどではない。都会では、町
を歩いても、大げさにいえば知らない人しかいないくらいです。人の顔を見たらすぐ
によけてしまうというのも、自己防衛のための一つなのかもしれません。
 警察の防犯課の方からお聞きした意見ですが、町の環境を変えるためには、近所の
方々がお互いに顔を知ることが一番大切だそうです。「おはようございます」「暑い
ですね」「寒いですね」ということばを交わせる環境をつくる。その輪が広がれば、
悪意をもった人が町に入りにくくなる。
 私も補導員をやっていますので、繁華街などへ入っていく機会があります。そうい
うところでまず最初に思うことは、なじまない顔の人が入ってきても誰もまったく気
にしないということです。目もくれない。「お隣さんはどなたですか」とうかがって
も、たいていは「知りません」ということばが返ってきてしまうのです。そういう町
は、すきあらば、という人にとってひじょうによりつきやすい場所になってしまう。
 袖すりあうも他生の縁。「こんにちは」とお互いに声かける。そのことばの輪が大
きく広がり、地区の防犯、困った時、なにかの時に助けあえる。最初は小さな輪でも、
その輪がだんだん広がれば、日本全国、そして世界にも広げていけるのではないでしょ
うか。世界平和は足元にありです。自分たちの足元に思いやりの輪が広がらないうち
は、世界平和はありえないと思います。
 みなさんの生活が潤い多き、そして周りの人のこころ安らぐ、にこやかに過ぎる日々
でいらしていただきたいと思います。周りの方に「おはようございます」とことばを
かけて下さい。話したことがない方でも、三回、四回と声をかけているうちに、相手
の方も言ってくれるようになると思います。そうしますと、次にはその方の笑顔が返っ
てくると思います。その笑顔を見たときには、自分のこころをもっと楽しくしてもら
えると思います。これが共に生きるということにつながってくると思うのです。
 つたない話ではございましたが、みなさまのおこころに何かひとつでも残していた
だければ幸いと思います。
 本日はありがとうございました。       合掌