平成19年 秋の観音詣り 説教

 『いま、平和を大切に生きる』

 神奈川県三浦市 本瑞寺住職 洞外文隆

 

 

 本日はお詣りいただきましてありがとうございます。みなさまの参拝を記念しまして、少しお話をさせていただきます。

 実はこのところ、深く考えていることがございます。過ぎました6月に、私どものお檀家で60歳になる方からある相談を受けました。お聞きしますと、戦争で亡くなったおじさんの供養がしたいというお話でした。このおじさんという方は、昔の軍隊式でいきますと、「第二五二海軍航空隊戦闘第三一七飛行隊第一御楯特別攻撃隊」に所属した、いわゆる特攻隊員でした。この方は施主さんにとって母方のおじさん。お母さまは90歳でお元気で、その方より八つ年上のお姉さんだということですから、現在ご存命ならば82,3歳。まだまだ現代的にいえば生きていてくださる年齢です。

 それが、昭和19年11月27日にサイパンの飛行場に飛び込んで、戦死をされています。19歳という若さでした。この方のご供養をしてほしいというお申し越しでした。

 このお施主さんご夫妻は、自分たちが幸せの真っただ中にあった結婚記念日が、おじさんの命日と月日が一緒であったことの偶然に驚き、ご長男が生まれた時に同じ「まさと」と名づけたそうです。そして月日が流れてついこの春に、お母さんのご実家でご先祖の供養があった。親せきみんなが集まった席で、おじさんの話が出るともなく出て、そして特攻隊で亡くなったということをはじめて知ったんだそうです。それから、ご夫妻でいろいろなことをお調べになりました。

 たまたまその頃、ご存じの「硫黄島からの手紙」という映画が放映され、また本も出ていますので、夢中でお読みになった。そうしましたら、その中にちゃんとおじさんのお名前があった。

 ご夫妻は触発されて、この夏、また秋口に戦争にまつわる遺跡をできるだけ訪ね歩かれました。それでレイテ島の供養祭に行きたいと思われ、遺族会に所属すればとのことであったので、所属をして行かれてきたとのことです。私もたいへんな供養会をさせていただいて、本当に考えさせられました。

 

 いまの平和の根底にあるもの

 日本は、この62年間、外国との戦争によって出た戦死者は一人もいません。自衛隊員として公務中に亡くなられた方は何人かいらっしゃるでしょうが、外国との戦争によって亡くなった日本人は一人もいない。このような平和が半世紀以上続いている国は、世界でもまれです。中近東を中心に世界には戦争をしている国が多くあり、私たちはさまざまなかたちで平和を叫びながらも、戦争がなくなりません。そのなかにあって、日本という国は62年間、本当に平和で過ごしています。

 この平和の礎は、特攻隊として亡くなられた方をはじめ、すべての戦死戦没者、また戦争でご苦労を強いられた方々ではないか、そう思っているのです。

 私自身は、小学校二年の時に終戦でございました。この寺に生まれ育っておりますので、戦争末期の頃、この寺の本堂に兵隊さんたちが寄宿していたことをよく覚えております。港を臨むこの地は東京湾の守りの要所ということで、この寺の周囲の高台の二、三か所に砲台を築いて、飛行機の対空機関砲を何門か据えてありました。

 横浜や東京に向かう敵の飛行機がこの上を通ります。それなのに、一発も撃たない。子ども心に不思議に思いました。「なんでいつも威張ってばかりいる兵隊さんたちは、敵が来たのに立ち向かって行かないんだろう」。これはあたりまえの感情ですが、撃たずにいてくれたので、この寺は無事でした。

 振り返って考えてみますと、戦争末期の日本がたいへんだったことは、特攻隊の話も原爆の話も聞いて頭ではわかっておりますけれども、子ども時代にお寺も無事で終戦を迎え、実感というものはなかなかなかった。しかし、9月1日にそのお檀家のおじさんをはじめとする特攻隊の方々の供養会をつとめさせていただき、考えさせられた。19歳という多感で青春真っただ中の青年が、飛行機に乗って敵陣へ爆弾を抱えて飛び込めといわれて…、もしいまでしたらどうでしょう。それは時代が違います。教育が違います。ですが、そういう国を思う気持ちというものがいま果たしてあるでしょうか。そんなことを悩みながらも、そういうことを考えなくていいいまを、われわれは本当に幸せに生きなければなりません。

 ご供養会にいらしていた元特攻隊の方のお話にございました。わずかな期間の飛行訓練を受け、飛行機に乗って行くんだそうです。おじさんが出撃された時は、13人の方が行き、12人が亡くなった。元特攻隊の方は飛び込んでいく戦闘機を誘導していく役割をつとめ、生き残ったんだそうです。それですからこの方はご自身が定年退職を迎えるや否や、無我夢中で過ごした戦争時代を忘れることなどできるはずもなく、いまも戦友の墓参りを続けていると話していらっしゃいました。

 

 いまも残る戦争の後遺症

 今日私がみなさんに申し上げたいことは、一度戦争があると、60年たとうが70年たとうが、その後遺症はあるということです。これをしっかりと知っておいてほしいのです。

 いまだに日本は第二次世界大戦の後遺症を背負っております。中国の問題もあれば、朝鮮半島の問題もあるでしょう。でも、いまだに戦争を引きずっている日本国民が大勢いるわけです。原爆による後遺症に悩む人たちが、いまだに後を絶ちません。当時赤ん坊だった人が後遺症に苦しんで、またその子どもたちまでもが、どうやら影響が出ていると聞きますと、いたたまれない思いがします。もちろん日本国民のことだけではございません。世界中で戦争を経験した国は、後遺症を引きずりながらいまを生きているのです。

 世界中で戦争がなくなってもらわなければなりません。私ども寺院は、成願寺さんももちろんですが、朝夕のお経のなかに必ず、世界平和を祈る文言が入っています。それほどに仏教は平和を求め続けている教えなのですが、世界平和というのはなかなか実現しません。これが人間の性なのかと悲しい気持ちがいたします。

 私の好きな禅語の一つに、「諸縁をととのえる」という語があります。人間は一人では生きられません。諸々の縁にすがってようやく生きていくことができる。ですから、自分の縁につながる人たちに対して、自分自身が心せねばなりません。なぜならば、人間は感情と感情がぶつかり合う悲しい生き物です。それゆえに、道元禅師は自分を忘れなさいと諭し、坐禅という修行を進められたのです。坐禅では、自己を忘れ、諸々の縁を放捨して、ただ坐ります。そのただ坐るというなかに自分自身の悟り得る。諸々の縁をととのえるために、坐禅があるのです。

 

 平和を精いっぱいに生きる

 私の母の弟にあたる方は、やはり兵隊で、戦死しました。戦争末期に南方へ向かっている途中、魚雷によって沈められた輸送船に乗っていたそうです。母の実家は九州の田舎にあるお寺で、五人のきょうだいで育った母が長女。そのすぐ下が戦死した弟だった。その下はみんな女性でしたので、その後、私の祖母にあたる母の母親が、浄土真宗の特徴もありますが、女住職として、残された男の孫が育つまでがんばりました。

 そしてその孫が大学を卒業するや否や、嫁をもらって住職にしました。親のないままに育った私のいとこは、がんで早々と死んでしまいました。そしてその娘がまた、西本願寺に修業に行って住職の資格を得て、いま三十を出たか出ないかでお寺を守っております。そう考えますと、戦死者が一人出たことによって、家族という一番大切なものが大きく変わってしまう。

 このまちに私の同級生が何人もおりますが、やはり親が戦死した、兄貴が戦死したという家がたくさんあります。その家の人たちを考えましても、いまだに戦争は終わっていないように感じて仕方ないのです。

 戦争で亡くなった方たちは、どういう立場の方たちだったのでしょうか。多くは一家を背負っていく、働き盛りの人たち、いちばん元気なお父さんお兄さんたちが、戦争に行って死んでしまった。そのことによって、その後、一家がどういう目に遭ったのか。映画や本で読むような、そんな生やさしいものではなかったのではないでしょうか。

 一度戦争をしてしまうと、50年や100年でその後遺症はなくなりません。われわれは、平和で幸せを享受できるいまの日本を本当に大事にしていかなきゃいけないのです。

 ご供養会の時に、私は思わず、声を出すべきところで出せなかった。90になったおばあちゃまが、特攻隊で死んだ弟のことをいまだに思い出しながら、「あの子がいてくれれば、もう少し私は楽しいのに、あの子の家族があれば」とおっしゃった。19歳で亡くなっては、お嫁さんも、もちろんお子さんもおいでになりませんでした。

 19歳が最年少かと思いましたら、17歳で戦死した方もいました。この事実。いかに戦争というものは過酷なものか。そして、日本という国がそういう大きな大きな試練を通ったがゆえに、平和がこんにちまであったということを、考え伝えていかなければならないのです。

 いまのわれわれは本当に幸せです。それなのに、子殺しがあったり、親殺しがあったり、強盗があったり。このような時代を、われわれがしっかりと考えていかなければ申し訳がたちません。日本には、もっと生きたい方がたくさんおられたのです。

 私たちはおぎゃあと生まれ、しかしその瞬間から死に向かっております。いつ死ぬのかわかりません。それなのにお釈迦さまは、死を恐れることなく、あるがままに受けとめよと、なかなか難しいことをおっしゃいます。それでも、いまは私たちは生きることができています。この瞬間、瞬間のいまを本当に大事に精いっぱい生きる。それが私たちのつとめではないかと思うのです。

 きのうまでの自分の生きざまが良ければ、いい今日が結果として出てまいります。いい今日とは何なのか。それをみなさんは考えていただき、心にとめてお過ごしいただきたいと思います。

 三浦の田舎で和尚が話していたことを少しでも思い返していただければ、お詣りいただいたご供養になるかと思います。ありがとうございました。                                 
                                                           合掌