補追 三笠に想う 

  住職・小林貢人

  

 このお詣りに、おりしも成願寺に滞在中のフィンランドの高校一年生セレネを連れてゆきましたところ、彼女はアミラーリ(提督)東郷の活躍した三笠に出会った事にたいへんな喜びようでした。セレネはその時代と以後の日本をだいたい学習しており、日本海海戦の1905年、ロシアの圧政下にあったフィンランド人は、ロシアバルチック艦隊を壊滅し尽くした日本海軍へ賛辞と敬意を送り、東郷元帥は現在も有名な人物だと教えてくれました。

 明治からワシントン条約、その後の三笠の運命の解説があり、特に私が聞入り感銘したのは次の話です。

 「太平洋戦争後ソビエト政府の申入れで完全解装され、日本人も甲板を剥いで燃料などにする始末、荒れ放題になった三笠を見て ― 世界史上の記念物を失うな ― と復興の呼び掛けを始めたのは、先年までの敵ニミッツはじめアメリカ海軍の人々だった」。

 残念ながらこうゆう話を理解できない、しようとしない人が多くなりました。近代日本史には当たらず触らずの教育が半世紀以上続いてる結果でしょう。でもそれは困る。洞外師曰くの通り、先人の溢れる熱意と唯ならぬ犠牲の導きで現世がある。恩返しと責任をどう行うか、考え佇んでる今の私です。