平成19年一泊坐禅会感想文紹介


鈴木 理美子

 私が金曜坐禅会に参加するようになったきっかけは、6月に父を癌で亡くしたことでした。母も既に亡く、私にとってただ何も考えずに坐っている時間だけが、心に開いた空虚な穴を埋めることができたのです。最初の頃は坐禅中にも涙があふれて困ったりしましたが、徐々に落ち着いてきて元気を取り戻すことができました。またふだんの生活でも、些末なことにとらわれて思い悩むことが少なくなってきたように思います。

 さて今回、成道会一泊坐禅会に参加させていただき、とても勉強になりました。中でも講師の岡本老師さまは、お師匠さまが大変な事態ということで、一刻も早く駆けつけたいであろうに、いつもの法話同様に成道会や仏教について予定時間を過ぎても丁寧に説明して下さり、本当に頭が下がりました。ご無事に帰郷なされたでしょうか。また大石師さまの「皆で一緒に坐るから頑張れるということもある。坐禅中、周囲に迷惑をかけないよう気をつけなければならない」とのお言葉にも目が開かれる思いがしました。

 私は周囲の気配に気を取られがちで、どちらかというと少人数で静かに坐る方が好きでした。が、そういう考え方自体が自己中心的であると気づかされました。お経を読むときも常々「皆と合わせて」と教えられていますが、それと同様、気遣いしていると感じさせずにさりげなく周囲に気を配ることの大切さを、坐禅・食事その他いろいろな場面で今回教えられました。

 ご住職さま・副住職さまをはじめとしてお寺の皆様、そして縁あってご一緒させていただいた参会者の皆様、本当にありがとうございました。頂いたチョコレートは、早速仏壇にお供えしてからおいしく頂きました。仏縁を結んでくれた亡き父母にも感謝。合掌

 

梅原 茂実

 金曜参禅会参加の為、成願寺さんの門をくぐって8年程経ちます。学生だった娘は書物から「禅」に興味を持ち、私はヨガ教室の「瞑想」から坐禅を組んでみようというのがきっかけでした。

 時が経つにつれて娘は、参禅する時間が中々とれず、成願寺さんから一泊参禅会のご案内状が届き、親娘で初めて参加させて頂くことにしました。

 初日は受付を済ませ、開講式ではリズミカルな鳴り物(太鼓と鐘)の音に圧倒されながら般若心経を唱えさせて頂きました。毎回、金曜参禅会・写経の日にお唱えするのとは全く趣が違った般若心経を聞き、新鮮さを感じました。小休憩をはさみ岡本老師の、仏教やその伝来・宗派などの講義を頂きました。「お経は亡くなった方々のものではなく、日々生活している私達に人間がどうあるべきか心がけを説いたもので、今一度、心に留めて生活して下さい」とのお言葉を頂き、心して坐禅に向かう準備ができた様でございます。

 坐禅、経行、坐禅でしたが、金曜参禅と時間帯が違っていたせいでしょうか、いつもの静けさ以上に静寂な空気が本堂いっぱいに満ち、気持ちの集中がはかられ、終了の鐘の音がいつもより早く感じられました。その後、成願寺さんが用意して下さった行茶を頂きながら参加者全員の自己紹介と、この一泊参禅参加のきっかけ等のお話を伺いました。就寝時には、移動したお部屋は、もう既に暖かな暖房とお茶まで用意をして下さって、成願寺さんの行き届かれたお気遣いに感謝しながら眠りに入りました。

 翌朝は、5時に起床し、用意を終えて本堂に入るとき、ふと眺めた中野の星空の美しさは感動ものでした。すぐ傍に新宿の高層ビルが建ち並ぶ中、都心の早朝にこんなに星が輝いているのは、成願寺さんならではの空の空間があるからではないかと思い巡らしました。

 朝の坐禅は、12月の寒さを覚悟していたわりにはそれ程体も冷え切らず、すっきりした気分で坐れました。その後、御住職そして4人のお坊さま方と修証義第五章を声を合わせてお唱えしましたが、お唱えの速度が速く目で追うのがやっとという、これも初めての体験です。

 その後の「落ち葉掃除」の作務では、厳しい雲水さんの作務修行とは違って楽なお仕事であった筈ですが、慣れない竹箒で扱い方の知らない娘は、帰宅して手の皮が剥けているのに気付き、笑いを誘いました。丁度、体が暖まった頃にお部屋に戻り、作法の基本を教えて頂き、五観の偈を唱えて朝粥を頂きました。お粥は静かな心持ちでおいしく頂きました。

 閉講式では、また、リズミカルに般若心経をお唱えし、御住職から中野長者のご信仰と修証義第五章の係わりのお話を伺い、最後に大観通宝のチョコレートまで頂戴してご本尊にお焼香をして退席しました。

 この一泊参禅会では金曜参禅とはまた違った経験をさせて頂きました。感謝の気持ちでいっぱいです。日常では中々出来ない大切な経験をさせて頂き、本当にありがとうございました。         合掌

 

梅原 洋子

 私は以前、こちら成願寺の金曜参禅会に通っていたのですが、仕事の都合でここ3年ほどは遠ざかっていました。久しぶりの坐禅で、坐れるかという不安はあったものの、母と一緒の参加でもあり、むしろ懐かしく心安い気持ちで参加いたしました。

 まず開講式では、般若心経をお唱えしました。強く弱くリズムをとる太鼓の響きと共に、比較的早いテンポで読む般若心経は、今までにはない高揚感があったように思います。

 次の岡本先生のご法話では、仏教の用語や概念、基本的な事柄についてお話がありました。また、釈迦牟尼仏による教えがお経であり、お経は死者への手向けというだけではなく、生きている人への教えであると説明されました。私を含め、坐禅会に参加された人たちは、きっとそのことをどこかで感じて、冬の一日、こうして集まってきたのかと思います。

 その後の坐禅では、約1時間半、皆さんと坐りました。私はやはり、変な気の張りが抜けませんでした。なんだか重心が下に降りてゆかず、しっくりこない、「すわりが悪い」感じのまま終わってしまいました。 行茶の時間ではお夜食をいただきながら、参加された皆さんのお話を聞きました。老若男女、いろいろな方がいらっしゃいます。私は成願寺さんでの坐禅しか知りませんが、他の場所で禅に触れてこられた方のお話も伺いました。

 二日目は起床してからまず坐り(起き抜けでボーっとしているせいか、あっという間に終わります)、朝課で修証義の第五章をお唱えしました。続いての作務では、境内の落ち葉掃きをしました。室内でじっとしているより、外で動いている方が、ずっと温かく感じます。 それから小食で、温かいお粥をいただきました。柔らかく炊かれたお粥は舌にもやさしく、とてもおいしかったです。 そして閉講式。開講式と同じく般若心経をお唱えしました。また住職から成願寺の縁起や、今朝お唱えした修証義に説かれていた、空しく百歳を生きるより尊い一日を生きる、ということについてお話をいただきました。

 二日間を通して、12月としては暖かく、穏やかなお天気での坐禅会でした。覚悟していたほどの寒さでなかったのは、ありがたいことでした。 お作法や姿勢など、外見を整えることもなかなか思うようにいきませんが、心の内を整えることはなお一層難しく、ほどんど不可能にも思えます。それでもこうして坐禅会に参加し、皆さんと一緒に過ごすことができて、とても嬉しく思います。ご指導くださった先生方、お世話くださった方々、そしてご一緒させていただいた参加者の皆様、ありがとうございました。    合掌