年 納めの観音・年末の会 説教

いつも見ておられる観音さま

兵庫県 観音寺 住職 平岩浩文老師


 本日は兵庫県丹波市から参りました。丹波市は、春日局の出生地として知られておりまして、平成の大合併で氷上郡から名称が変わったところでございます。こちらからですと遠くに聞こえますが、電車、新幹線と乗り継ぎますと、ほんの4時間の近さでございます。

 さきほどは、観音さまの本年納めのご縁日ということで、みなさんとおつとめをさせていただきましたが、曹洞宗を開かれた道元禅師さま、その法を広められた瑩山禅師さまも、観音信仰をお持ちの方でした。

 

観音菩薩に導かれた両祖さまの半生

 道元禅師は鎌倉時代、1200年1月2日に京都の内大臣家にお生まれになりました。3歳の時にお父さん、8歳の時にお母さんを亡くされて世の無常を感じ、13歳で比叡山に上られ、14歳で出家・得度をされています。そして24歳で宋(中国)に渡られ、天童山の如浄という禅師さまにお会いすることができ、悟りを得て28歳で帰国の途に着かれました。

 宋への旅は、いまのように飛行機ではございませんで、船で渡り、船で帰ってきたわけです。想像もつかないぐらいの日数がかかったかと思いますが、本日のような良い天気の日ばかりではございません。

 大嵐に遭ってしまったある日のこと、とても甲板に出る余裕などない荒波の中でのことだったそうでございます。船には中国から日本に帰る方、または日本に来る方とたくさんの人が乗りあわせていた。これ以上の大波高波が来たら、船が大破してしまうのではないか、船室ではそれぞれに手をとって肩を寄せ合い、大嵐の中で死への恐怖に堪えていた。

 道元禅師もやはり旅の疲れか船酔いか、船底の隅のほうでお休みになっていた。ですが、「このままではいけない。自分は日本に帰り、正しい法を広めなければならない」と意を決し、荒波大雨の中、船室から甲板に出られ、そして観音経をお読みになった。

 この観音経というのは、みなさんとさきほど一緒にお読みしましたが、「(ねん)()観音力(かんのんりき)」とたびたび出てまいります。これは「観音さまの力によって」というような意味がございます。

 道元禅師は甲板に立ち、この観音経を一心に唱えた。そうしましたら、遠くのほうにうっすらとなにかお顔が浮かびあがってきた。それでも観音経を読み続けますと、そのお顔がだんだんと近づいて、よく見てみますと、荒波に浮かぶ葉の上、観音さまが坐禅を組まれたお姿であった。

 この観音さまは一葉観音といわれ、永平寺にそのお姿がお祀りされていますが、一葉観音が姿を現されると、これまでの嵐がうそのようにおさまり、日本へ無事に帰ることができたと伝わっています。

 もうひとかた、大本山総持寺を開かれた瑩山禅師さまも、やはり観音信仰をお持ちの方でした。

 瑩山禅師は福井県武生の多称(たね)(むら)の豪族・瓜生家にお生まれになられましたが、お母さまは長く子宝に恵まれず、住まい近くの観音さまへ何日も何日も「どうか子が授かりますように」とお詣りを欠かさなかったそうです。観音さまの前に進み出ると、五体投地という、ひざをつき、おでこを地につけて行なう丁寧なお拝を数えること3千3百33回もされた。そしてようやくご懐妊になった子が、瑩山禅師と伝えられています。

 (たい)()常済大(じょうさいだい)()誕生(たんじょう)御和(ごわ)(さん)の一節に、

 此の世の人を救うべき 良き子われに授けよと

 真心こめて母ぎみは 観音菩薩に祈らるる

 とございます。このご詠歌は昭和になってできたものですが、瑩山禅師のお母さまのお気持ちがよく表されています。きっと親となる方にはみな、このようなお気持ちがあるのかなと思うわけでございます。

 瑩山禅師がお生まれになると、いつも親子は一緒に観音さまをお詣りされました。そんなある日、「なぜ観音さまにお詣りするの」とお母さまに質問をされました。お母さまは「観音さまは慈悲深く、多くの人を難事から救い、願いをかなえてくださる菩薩さまです。私は観音さまのおこころを頼りに、あなたの成長を願い、あなたの幸せを望んでいます。観音さまを信仰し、毎日礼拝してお経をお読みすることが大切ですよ」。このようにお応えになった。

 瑩山禅師のおこころにこのお母さまのおことばが強く響き、8歳にして両親に「お坊さんになりたい」と打ち明けられたのです。ですがそんな子どもがお坊さんになるといって、ご両親はすぐに許してくれるでしょうか。子どもながらに物も食べず水も飲まずして自らの決心の強さを表し、ようやくご両親の許しを得たのです。そしてお母さまのおこころを胸に、永平寺へ修行にあがります。

 道元禅師のお弟子であります()(じょう)禅師、()(かい)禅師より教えを受け、28歳にして石川県大乗寺の第二世住職となり、そして同じ石川県羽咋に永光(ようこう)()を開かれました。

 そんなある日、瑩山禅師の夢にある人物が現れます。そしてこの羽咋からもう少し北、門前町諸嶽(もろおか)の観音堂の住職になってほしいとお告げになった。瑩山禅師はお感じになるところがあり、後日支度を整えて能登半島を北へと進まれますと、夢で会った人物が歓迎した様子で出迎えにきた。この人物はもともと観音堂の住職でありましたが、観音さまのお告げによって瑩山禅師を新たな住職として迎えられたのです。瑩山禅師はこの申し入れを受け入れて、ここを拠点に多くの人々に法を広められていくことになったのです。これが現在は鶴見にございます総持寺の始まりです。

 道元禅師さまも瑩山禅師さまも、このように観音さまと深いご縁をお持ちでした。みなさんと一緒で、観音さまのみこころに導かれ、歩んでおられたのでございます。

 

観音さまの広大な愛と、人間の持つ不純な愛

 観音さまは三十三のお姿に変じて、私たちを救ってくださいます。その一つに千手千眼観音がありまして、この方は子年の守り本尊。私は子年生まれでして、住職をしております観音寺の本尊さまが千手千眼観音。住職をつとめてまだ15年ほどですが、縁あって観音寺に参りましたとき、はじめてそのように教えていただきました。自分と縁深い観音さまが、ご縁をいただいたお寺のご本尊で、瑩山禅師さまと一緒だなとありがたく思いながら、毎日をつとめさせていただいているわけでございます。

 千手千眼観音といいますと、千本の手に千個の眼をお持ちです。なんだかそう聞きますと見た目には怪物のようです。しかしながら、その(あま)()ある眼であらゆる方向を見ていらっしゃる。われわれを夜も昼も欠けることなくずっと見守ってくださっています。

 ところで観音さまは男性でしょうか、女性でしょうか。聖観音さまのお姿を思い浮かべますと、女性じゃないかなと思う方が多いかもしれませんが、観音さまは男性でも女性でもありません。性別を超えた存在で、あらゆるところにあらゆる姿で現れて、救いの手をのばしてくださいます。

 それでは観音さまの大慈と人間のそれでは、いったいなにが違うのでしょう。人間にも慈しむこころや愛はあると思うのですが、ほとけさまの慈愛とくらべたら驚くほど小さい。人は、慈しみのこころや愛というものに期待や条件を備えてしまいがちです。

 本日私は新幹線を降りますと、東京駅から地下鉄に乗って中野坂上まで来ました。地下鉄では多くのお客さんの乗り降りがあって、スーツ姿の会社員やお年寄りも乗っていらした。みなさんも席を譲ったり譲られたりされたことがあるかと思いますが、譲った時には「どうぞお座りください」という気持ちで、譲られた方は「ありがとうございます」と会釈をしてお座りになる。ところが、なんのあいさつもなしに、とんと座った方がいたら、席を譲った方はたぶんご立腹されるのではないかと思います。「譲って差し上げたらきっと喜んでお礼の会釈なり言葉が返ってくる」、そうみなさんは期待をされると思うのです。

 私のお寺のほうでは、これからの時期は大根とか白菜の冬の野菜の季節です。ご近所同士でうちの畑の白菜、うちの畑の大根だといって交換したりします。持って行きました時に、「ごちそうさま。うちはことし大根ばっかりだから良かったよ」と喜んでくれるか「また白菜か」という雰囲気で受け取るか。差し上るほうは喜んだ顔が見られませんとがっかりした気持ちになるわけです。

 人間は、ひとになにかをして差し上げる時、きっと「感謝」や「喜び」などがなんらかのかたちで返ってくると期待します。これは、こうあってほしいという条件を持つ不純な愛。どなたにもそういうおこころがあると思います。この期待に外れた時には、たいへん不愉快になるのが人間なのです。

 少し前のことですが、お子さんがいらっしゃらない和尚さんが、二人の子どもをお寺でおあずかりになった。毎晩川の字のごとく二人の真ん中にお休みになって、自分の子のごとくかわいがった。

 同じようにかわいがった二人の子は、小学校、中学校へと上がりましたが、一人は成績優秀、出席も皆勤賞。もう一人の子は、残念ながらトップはトップでも回れ右をしたらトップ。同じように接しているつもりでも、成績の良い子には、「きっとこの子は将来有望」と内心思い、成績の悪い子には「どうも期待が薄いかな」というような気持ちでいた。

 そして、二人とも高校を無事卒業となりました。そのとき成績の良い子は、胸を張って通信簿を渡し卒業の報告をした。方丈さんは「よくやった」と喜んだ。もう一人の子は帰ってはきたものの、なかなかお寺の中に入ってこない。手を引いてきて座らせ、方丈さんはその子に「どうしたんだ」と聞いたのです。そうしましたら両手を畳について「ごめんなさい。期待に応えることができずにごめんなさい」と何回も頭を下げたというのです。

 方丈さんはその姿を見てあっと気が付いた。そしてこう言ったそうです。「おまえが成績が悪いのは、おまえだけのせいじゃない。私は成績の良い子ばかりをかわいがっておった。檀家さんには、ほとけさんの愛は平等であり無限である。私たちもそのようにこころ掛けて生きていかなくてはいかんと言っているにもかかわらず、わたしはおまえたちを知らず知らずのうちに分けてしまっていた。わたしがそういう気持ちだったから、おまえさんはそれを感じ取ってしまったんだね」と、涙ながらに話して聞かせたそうです。

 都会ですと養護施設もございましょうが、地方ですとそういう施設が多くはございません。お寺でおあずかりして高校まで面倒を見て、あとは出家をするか就職をするか、または大学へ行くかはその子自身の問題ですが、その二人は立派な方丈さまとなり、一人ずつ一か寺の住職としていまもご活躍でございます。

 私たちは、美しい姿や賢いものを愛し、そうではないものを軽蔑しがちです。それではだめですね。ほとけさまは、善悪凡夫のわれわれをわが子のように永劫の末まで愛し続けてくださいます。その情けはそのままわれわれのこころの中に入ってきます。これがみなさまの信仰される観音菩薩の姿でございます。

 みなさん、本日お帰りになられましたら「きょうは成願寺へ行ったら、兵庫から来た方丈さんにこんな観音さまの話を聞かせてもらったよ」とお話しくださいますようお願い申しあげ、私の話を閉じさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。    合 掌