『写仏について』

NPO法人 曼荼羅祈り写仏の会   安達原 玄

 

 人はそれぞれの場所で

 それぞれの願いに手を合わせます

 合掌の姿は素朴で

 ひとりの内なる願いと祈りであり

 仏法の悟りの極致でもあります

 

 都内中野の「成願寺」の境内に立つと、都会の雑踏が遠く別天地の感じがいたします。

 写仏教室にご案内いただく、その香気漂う空間、この場所で写仏させていただけることはなんと幸なことと合掌。

 人はそれぞれ何かと出合い、何かを愛し、何かのために生きる…私にとってそれは仏画でした。仏画を描かせていただき半世紀近い月日が経ちました。今自分を改めて見直してみますと、「写仏」とともにある自分、写仏があったから生かされて生きてきた私を強く感じております。

 「写仏」とは、形の中に心を探すことでしょうか。写仏をして下さる全国の皆様方よりたくさんのお励ましのお言葉に支えられて歩んでまいりました。

 仏画の伝来は、継体天皇の時代とも欽明天皇13年(552年)ともいわれ、三韓や漢地との古くからの交流によって百済の聖明王が遣わしたとも云われています。この時以来多くの仏像・図像・経典等とともに、寺工・瓦工・画工等とともに僧侶たちも渡来してきたと伝えられています。ずいぶん前の事ですが、井上靖氏の原作「天平の甍」の映画の中で使う仏画を、東宝美術部の依頼でお手伝いいたしました。

 遣唐使として唐に渡った若い僧が、半世紀艱難辛苦に耐えて命がけで膨大な経典の書写をしました。しかし、帰朝の海上で嵐にあい、瞬時にして海底にひとひらの藻屑の如く消えゆく、心打たれる名場面をご記憶の方は多いと思います。

 こうした万里の波濤をけって命がけでもたらされた数々の経典・仏像・仏画等の新しい智識を基に、仏教興隆のための伽藍の建立、作像・写仏・写経等信ずるところの教学の伝道等に、心ゆくまで打ち込んだ若き僧達の激しい生きざまが、千年の月日を経て現在に語りかけてきています。

 礼拝をするのには、仏さまのお姿は、私共人間の姿に似せて、絶対者の姿を具現させました。では、その尊像はどの経典に基づいているのか、供養の方法や造像、呪文など、その尊像がどんな意味を持っているのか、息災法(礼拝・儀礼)、敬愛法の仕方を集め、また同じ尊像の変遷分化等を学問研究したものが図像学(イコノグラフィー)といわれています。

 ですが、これだけでは解明することのできない奥深い意味が各尊像の背景にあります。

 風土に培われた歴史の折々の社会・民族の在り方など、複雑な諸条件の背景の上に、変遷象徴されているともいえるものですから、形式などの平面的なとらえ方ではとらえきれるものではなく、それを立体的に解明研究しようとするのが図像解剖学(イコノロジー)の分野です。

 

 形の中から心を探す

 ひとつひとつの仏像や仏画は、それらを作らせた人、作った人々の心が、深く大きい要素ともなりますから、形の中に心を探す、立体的両者のとらえ方の上に立つことが大変重要なことではないでしょうか。昨年60万人の拝観者のあった阿修羅の像など思い出してみてください。

 

 仏像や仏画には決められた型がある

 それは難しいものではありませんが、服装・持物・手足など身体での表現等に、日常私たちの思考を越えた姿形をしております。

 何千年も定められた約束事(儀軌)をしっかり受け継ぎ、なお後世に伝えていくことが私たちの役目ではないかと思います。

 仏画は伝承された下図絵をもとにお描きいただいておりますので、どなたでもすぐにお描きできます。未熟さを顧みずに写仏のご指導に伺いますと、人の心の深淵をのぞき見ることもあります。エゴの深さにタジタジとすることや、その悲しみの深さが身にこたえ、帰途駅舎の雑踏の波にもまれつつ、どうしてあげることも出来ない悲しみに沈むこともあります。私たち凡人には、ただ、そのお話をお聞きしてあげることでしかできません。ただ一尊でも多く写仏していただくことで抜苦与楽の御仏の慈悲に触れていただきたいと願うばかりです。

 これまで一本の筆と一枚の紙をご縁にたくさんの場所で写仏のお教室を開催してまいりました。今年81歳の夢は、みなさまがいつでも写仏ができ、仏画に触れることのできる、心の交通整理ができる空間「八ヶ岳まんだらミュージアム」建設を実現することです。日本中に心の底から湧き上がる笑みを広げたいと、タジキスタンより13メートルの涅槃像とお待ちいたしております。ぜひともお力添えくださいませ。

(ホームページ http://shabutsu.jp/

 

 私たちのすることは

 永遠の一滴にすぎないが

 永遠に続く一滴でありたい