平成21年 秋彼岸中日法要解説

『 お彼岸に因んで』

岐阜県自法寺副住職・駒澤大学大学院博士課程 小栗隆博

 

 さて、本日は秋のお彼岸の中日です。

 彼岸の中日にあたる春分や秋分とは、皆さまご存知のとおり、太陽が真東から昇り真西に沈む、昼と夜の時間がほとんど同じになるという、年に二回の日であります。

 日本では春分と秋分の日にちは、前の年の2月に、国立天文台の計算を元に、政府により決定されているようです。地球も正確に太陽の周りを回っているわけではなく、若干の楕円軌道で、それも次第にずれてくるために、公式な立場では翌年までしか正確な予測は出来ず、またどうしても年ごとに微妙に違う日にちになるようですね。

 仏教行事としての彼岸会が、どうして春分や秋分に行なわれるかというと、一説には、真西に沈む太陽を見、そこに西方極楽浄土を想ったというのが、その由来であったといわれています。浄土とは、無限の時間と無量の光に彩られた世界であり、阿弥陀如来の導きで人びとが死後に向かう安楽の地であるとされています。

 西の方向の彼方に本当に極楽浄土が存在するのかというと、それはまた別の問題になってきますが、少なくともそこにリアルな何かを想定して、その極楽浄土に行くことを願った人たちは、今までも無数に存在してきましたし、それらの個々の記録も経典としても残されてきております。

 しかしながらわれわれの禅宗では、「あの世がどうなっているのか」、「死んだら人はどうなるのか」というテーマについて、直接かつ積極的に語ることは、実はあまりいたしませんでした。

 すでにお読みになった方もいらっしゃるかもしれませんが、ここで一冊の本を紹介します。臨済宗妙心寺派の福島の禅寺のお坊さんで、作家としても有名な玄侑宗久さんが『アミターバ』(新潮社)という小説を書いておられます。この物語は、主人公の僧・慈雲と、ガンで余命三か月の義母とのやりとりを中心に、死の瞬間とその後を、リアルな物語性を持つフィクションとして綴ったものです。慈雲は、自身が禅宗の僧侶であるために、「お義母さん、僕も本当はよくわからないんですけれどもね」と正直に告白しつつも、宗教経験や臨死体験の記録、あるいは量子物理学の研究成果などを駆使して人の死について語り、義母の死への不安を取り除いていくという内容です。その義母が死後、発光体となりながら、自らの葬儀を見下ろすという最後のシーンには、思わずほろりとさせられてしまうという、玄侑さんの見事な筆力が冴え渡っております。

 いずれにしろ、小説という形をとらねば、禅宗の僧侶である玄侑さんも、あの世のことについては十分に語り得なかったのかなとも思います。しかしこれは、浄土系のさまざまな教えの依用ではなく、日本人としてはあの世の問題はないがしろにはできないものであると思います。禅宗だ浄土宗だというよりもむしろ、日本仏教とか日本人の霊魂観として、抽象度を上げて考える必要があるものであると思います。

 

 アメリカの浄土?

 ここでいったん外国に目を向けますと、実は近年、といっても一九七〇年代ころからですけれども、医学の分野で、特にアメリカを中心に、臨死体験の学問的な研究がなされるようになってきました。こういったことを現在日本で研究しているのは、京都大学のカール・ベッカーという方です。ベッカー教授は、アメリカでこの研究がはじめられたきっかけの一つが、ベトナム戦争であったと言われます。それまでの戦争では、戦場で負傷者が出た場合、次のような医療法が実践されていたと言います。まず、医療行為をおこなっても助からないであろう人たちは放っておかれました。たいした傷ではなく、医療を施さなくてもなんとかそのまま生き残りそうな人にも、何もしないそうです。そしてその中間の、医療を施さなければ悪化するが、医療を施せば助かるという三分の一以下の人たちだけに医療を施していたのです。

 しかしベトナム戦争では、様々な事情で全ての兵士に医療を施そうとしました。すると例えば、次のような話があったそうです。

 ある兵士がベトナムの水田を歩いていて、地雷を踏んで、両足を吹き飛ばされた。それで自分は死んだのかと思うと、そうでもなく、隣の椰子の木の上からその戦場と自分を見下ろしていると言うのです。軍の医療ヘリがそこに救助に来て、負傷者を収容して海上に待機している医療軍艦まで運ぶのです。そのとき本人の意識、視覚、聴覚は、自分の体が運ばれてしまうので、ヘリに沿って空を飛び、医療軍艦に入ると、マッサージを受けたり手術を受けたりして、やがて痛みながらその体で我に返る。そのような体験を一人二人でなく、たくさんの医師から聞いたそうです。

 それまでの戦争では死んでいたであろう兵士の、こういった記録が報告され、同時に医学的な見地からの研究もなされはじめ、どうも人間は物質から離れうる意識を持っているという説が強まったのだそうです。そしてベッカー教授がアメリカの病院で聞いたところでは、あの世に入った時に、何とも言い尽くせないまばゆい光に出会ったという意見が多かったそうです。それを「フィギュア・オブ・ライト」と言うそうですが、これはまさに無量の光であり、阿弥陀であると。

 以上のように、戦場に限らず、アメリカの医学の現場で報告される臨死体験が、どうも浄土の教えに似ているということ。阿弥陀や浄土など知らないアメリカ人が体験したことと、東アジアに伝承されてきたこととの共通性といったものが、ベッカー教授により指摘されております。非常に興味深い報告であると思います。

 

 日本人の宗教観

 自然科学の分野では通常、測定・計測できるもののみを存在するものと見なしますが、だからといって個々人が体験したことを、測定や計測ができないからといって存在しないものとは言い切れません。現代の科学ではまだまだわからないことが多すぎるのです。

 それに、最近法律の改正がなされましたが、「脳死と臓器移植」の問題もあるように、そもそも人の死とは何かについての定義もはっきりしていません。また一口に人の死と言っても社会的な死、精神的な死、肉体的な死、などなど様々に考えられます。

ただ、私たち日本人が本日の彼岸法要を始めとして、春の彼岸、お盆などの季節の行事を大切にして、また人生の節目ごとの行事を大切にするのは、結論的なことを言ってしまえば、あの世が存在するかどうかは確実には言えないものの、「生から死へのプロセスとその受容」に重きを置いているからであるとも言うことができます。

 人の死を受け入れるための癒しとしての葬儀の役割や、人生の節目ごとに行われる通過儀礼、亡くなってからの年回法要、季節の節目節目に行なわれる、本日のお彼岸のような行事は、実は同じくらい大切なものであり、それを守っていくことが文化と民族性の伝承にとっても重要であると思います。また年回法要も七回忌までは割と頻繁につとめられますが、これは七歳までは神の内といわれて、子供に対し七五三などの通過儀礼を行なうことと、不思議と対応しております。子供も新しい死者の霊も、ともに不安定であることと、その間に行なわれる行事の間隔が対応していることも指摘されています。

 また霊的な世界と現実世界が連続してつながっており、密接に対応しているのも、日本人の世界観といえるのかもしれません。少なくとも死んだらもうおわり、そこから先は全く関係ない世界ではなく、すべてはつながっています。

 これは単に先祖を大切にしましょうというレベルでの話ではなく、季節ごとや人生の節目の行事・法要は、実は生者と死者の魂をともに救うものであるということを、皆様に知っておいていただきたいと思います。

 それでは法要が始まります。ご清聴ありがとうございました。              合掌