『大遠忌参列の報告』

 517日(月)〜27日(木)の11日間、大雄山最乗寺において、御開山了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師六百回大遠忌正當(しょうとう)法要が奉修されました。成願寺開基鈴木九郎の師が五世住職舂屋宗能(しょうおくそうのう)禅師であるご縁から、二十二日(土)午時献供諷経(ごじけんぐふぎん)(御開山様にお昼ご飯を供える儀式)に成願寺方丈様が上山。焼香師(導師)を勤めました。当日は随喜御寺院50名とともに成願寺参拝団として檀信徒約百名が拝登しました。

 成願寺を朝7時に出発した一行は、大型バス3台に分乗し、東名高速を新緑もまぶしい最乗寺へ。案内の僧侶の方に導かれ本堂前へ進むと立派な回向柱がそびえ立っています。柱に結びつけられた五色の布は本堂正面から本堂内陣を伝い御本尊釈迦牟尼仏の御手に結ばれていて、回向柱(えこうばしら)に触れ、五色の布に触れることは本尊さまに直接触れるのと同じ功徳があるとされています。特別な法要の際にのみ建立されるとのこと。ご説明を聞きさっそく功徳をいただく参拝団でした。

 瑞気溢れる山内を進み、一番古い建物という多宝塔や結界門、お顔を三つお持ちという三面大黒天など拝観して、ご祈禱をいただく御真殿前へ到着。御真殿脇には世界一といわれる大下駄と十一面観音様が安置されています。本日は御開山了庵様の御遠忌であると同時に、相模房道了尊者様が御開山様が亡くなられたのを嘆きながら、「以後山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と火焔を背負い右手に拄杖、左手に綱を持ち白狐の背に立って山中に身を隠されたその日から六百年。実は尊者は十一面観音様の御化身で、道了大薩埵と称され人々の尊崇をあつめています。その道了様の祀られる御真殿で参拝団一同ご祈禱をいただき、特別開帳となった尊像の御前に進み参拝させていただきました。

 ご祈禱を受けて身も心も清浄になった一行はいよいよ本堂へ。左右に分かれて着座すると随喜御寺院、最乗寺のお坊様方も居並んで三百畳の本堂を埋め尽くします。詠讃歌が唱えられるなか方丈様が上殿。威儀に従って温かい蜜湯、菓子とお茶を丁寧な所作で供えます。香を献じて三拝すると、御開山禅師様のお徳を讃える法語をお唱えになりました。妙法蓮華経観世音菩薩普門品という長いお経が読誦されるなか、参列の檀信徒は須弥壇前に進み出てのお焼香。法要後は勤めを終えたばかりの方丈様から、最乗寺と成願寺の縁、着用の袈裟のことなどお話がありました。その際、お袈裟は元禄時代のものと説明がありましたが、焼香師様が被る帽子は立帽子(たてもうす)といって、今回の法要のためにお袈裟の刺繍を再現して新調したもの。台湾の洪嘉玲さんという方の手によって、多数の花々の刺繍が鮮やかに咲き誇りました。

 続いて最乗寺山主石附周行老師が上殿され、私たち一行の先祖供養の法要をお勤めいただき、参列者全員の名前を読み上げてくださいました。再度須弥壇前に進み出てのお焼香をさせていただき、感激もひとしおの参拝団でした。その後本堂前の大階段で約150名の記念撮影を済ませると、客殿にて紀綱岩澤郁雄老師より、ご挨拶とご案内をいただきました。

 「成願寺参拝団の皆様、本日は誠にありがとうございました。小林方丈様、先ほどの午時献供諷経では焼香師を、また、引き続きの総諷経の功徳主にもなっていただき重ねてお礼を申し上げます。このたびの大遠忌は、17日よりの11日間、一日5名の焼香師様にご上山賜り約50回の法要を奉修しております。これが終わりますと、次は秋に道了尊の首都圏御開帳を予定しております。道了尊は、昭和5年以来、約80年ぶりに山内から出られ、各地をご巡錫して、両国の国技館に向かわれます。そして113日、世界平和と現代世相安寧を祈る大祈禱、式典法話、加山雄三さんのコンサートを計画中です。秋に再会できることを楽しみにしております」。

 春の恵みに満ちた精進料理をいただくと、最乗寺での全日程を無事終えて、成願寺への帰路に着きました。   (編集部 間宮記)

 

 

 

 

 

『縁と絆を尊ぶ』

 静岡県龍豊院 副住職  浅井完自

 

この度、成願寺方丈様におかれましては、最乗寺開山忌法要焼香師という大役、誠におめでとうございました。また、この法要の随行を機に、最乗寺様に初拝登させていただき、感謝の念に堪えません。実は割と近い伊豆にいながら、今までお訪ねしたことがなかったのです。

 さて、私と成願寺様のご縁は、副住職要介禅兄との出合いに始まりました。昭和623月、横浜市鶴見にある大本山總持寺へ修行安居のため、私が上山した折り、機同じく要介禅兄も上山されたのでした。本山に上がると、まず始めに旦過寮(たんがりょう)、続いて看読寮(かんどくりょう)に入り、本山修行の基礎をみっちりと教わります。ここで半年間私たちは一緒に過ごしました。その後、別の寮に分かれたものの、本堂のお世話と法要進行の黒子役をする侍真寮でまた一緒になりました。合わせて一年間、同じ寮で苦労を共にした同志であります。私は二年ほどで本山を下りましたが、要介禅兄はさらに修行を続けておられました。

 要介禅兄が安居生活を終えて成願寺様に帰山されてからは、お声を掛けていただくようになり、毎年7月のお盆の施食会に随喜させていただいております。その後、新年大祈禱会にも随喜させていただき、年に二度お邪魔するようになり、ご縁は今日に至っております。

 最乗寺開山忌当日、私が到着した頃、参拝団の皆様は境内上部にある御真殿でご祈禱をお受けになっておいででした。その後、少々予定が押して開山忌法要が始まりました。方丈様は、山主老師、随行寺院約50名、多くの檀徒、観音講員、知人の方々が待つ本堂に堂々とした歩みで入って来られました。法要は滞りなく厳修され、最後に方丈様のお話がありました。お掛けになられていたお袈裟を下ろし、それが成願寺相伝のお袈裟であることと、この法要を勤める事となった縁(えにし)を語られました。そして『「縁と絆」を持って成願寺護持に努めたい』という意志を述べられました。

 私は思わず納得いたしました。こんなに大勢の寺院・関係者の方々が集われるのは、日頃から縁を尊び、絆を大切にされている何よりの証でしょう。私は感動しきりでした。今回参列させていただいた事を心より嬉しく幸せに思っております。  合掌

 

 

 

 

『ご縁に感謝』

 愛知県常楽寺 副住職 赤堀正道

 

この度の大雄山最乗寺御開山了庵慧明禅師六百回大遠忌には成願寺様と特にご縁の深い最乗寺様より大導師の任命があり報恩のお香を焚かれました事はまことにおめでとうございました。無事のご円成大変感慨深いものと拝察申し上げます。

 さて、私が方丈様と初めてお会いすることができたのは15年前のことでございます。愛知から上京、駒澤大学仏教学部に入学し、親のすすめで「仏教研修館 竹友寮」へ入寮することになりました。まだ右も左も分からない頃、寮の先輩の紹介で成願寺様へお手伝いに伺うご縁を頂きました。

 方丈様をはじめ、奥様、副住職様、成願寺に携わるすべての皆様には半人前の私を僧侶として、また一人の人間として温かく、時に厳しくお経の誦み方、法堂の進退(お堂の作法)、掃除の仕方、接客や手紙の書き方等きめ細かくご指導賜りましたことは、今でも私にとって忘れることのできない経験で一生の宝物であります。今の私の基礎になっています。

 特にあまり多くを語られない方丈様は自ら実践行動し、私に僧侶としての心構えをお示し下さいました。私はこの方丈様の背中を見て、それまで漠然としていた自分の将来に対して、「僧侶になるんだ」という意思が固まったような気がします。誠に勝手ながら、私にとって師匠であり父のような存在でございます。

 そんな仏様のお導きともいえる方丈様、成願寺の皆様とも一時お別れし、永平寺の修行に上山しました。送行後はまたお盆供養、お彼岸法要等お声を掛けて頂き再びお世話になっております。

 今回拝登いたしました小田原の最乗寺は、山深い中に歴史を感じる建物が多数あり、厳しい修行を想起させる佇まいを持っていました。その静謐で荘厳な伽藍に感動いたしました。

 法要の522日は新緑が全山に光り輝き、たくさんの杉の大木の間からはさわやかな風が吹き込む素晴らしいお天気となりました。全国各地の成願寺様ご縁のご寺院様が両班に立ち並び、檀信徒の皆様が見守る厳粛な雰囲気の中、方丈様は成願寺に代々伝わる時代の重みを感ずるお袈裟を掛けられ、威風堂々の大導師をおつとめになられました。

 私もこのような大法要に随喜できるご縁をいただき、また焼香が出来ましたことは身に余る光栄であり、喜びであり、誇りでありました。参列された檀信徒の皆様方もこの尊いご縁に感謝の気持ちをお持ちになったのではないでしょうか。

 法要の最後に方丈様より、代々伝わるお袈裟のいわれ、そしてそのお袈裟を通じて「縁」、「絆」の功徳のお話を頂きました。長い時を経たお袈裟を身に纏い最乗寺御開山禅師、最乗寺五世舂屋宗能禅師、成願寺歴代の住職への報恩感謝の気持ちと、その仏縁によって築かれた絆に感謝し、これからも大切にしていきたいという有難いお話をされました。改めて私も「縁」と「絆」への感謝の念を気付かせていただきました。本当にありがとうございました。

 

 約二千五百年前のお釈迦さまの教えが多くの祖師方に受け継がれて今、この時代に脈々と伝わっております。今回の法要のご縁、絆に感謝すると共に今一度、自分を見つめ直し、僧侶の原点に戻って精進せねば…との覚悟ができました。   合掌

 

 

 

 

『大雄山最乗寺開山忌供養に参列して』

 檀家 安藤 則

 

東名高速の右手遠方に雪をいただいた富士山が見えると、車内に喚声が上がりました。私には、初めての大雄山最乗寺です。30余棟の堂塔は、広大な山林に囲まれ、静寂の中にありました。ここ数日、足を痛めていたため、150段の階段が登れずご祈禱に参列できなかったことは、誠に申し訳なく、また残念に思います。杉の大木を見上げながら、「袈裟掛けの松」は現存するのか、14世紀末の建立以来600年、どのような歴史を経てきたのかなど思いながら、下で待っておりました。

 護国殿(本堂)にはご本尊釈迦牟尼仏三尊が祀られ、華麗な天蓋(てんがい)の内陣に随行の諸老師が立たれ、左右に成願寺檀信徒150余名が座して、焼香師様のご上殿をお待ちしました。私はいたく緊張し、最後部の席に着きました。やがて焼香師様は鮮やかな黄色の衣に白絹地に美しい模様の刺繍があるようにお見受けした地蔵袈裟でお出ましになりました。

 そのお袈裟は長い苦難の歳月を経た、深い謂われのある大層貴重なものと伺いました。

 先導されるお坊様の紫の衣、黒い衣に木蘭(もくらん)の袈裟を掛けられたお坊様方との調和に感銘を受けました。若いお坊様が舞うようにお経本を配り、香が焚かれ、お灯明があげられると低い声で読経がはじまりました。私は目を閉じて一心に耳を傾け、また、右廻りに歩きながらお経を読まれる行道の時にはその静かな動きに改めて目を奪われました。

 お経は物語のようにも聞こえました。後刻、小栗師に伺ったところ「妙法蓮華経」の中の観音経全文で『偈文(げもん)の「世尊妙相具…」に入ってからはわかったでしょう』と教えてくださいました。

 読誦に集中していると、時折背後から爽やかな風が入り、水の落ちる音も聞こえてきました。「いい風ですね」と隣席の方が言われました。目を上げると15間先の障子の向こうに初夏の光が輝いていました。私は一瞬どこにいるのかという感を覚えました。

 続いて最乗寺山主老師によって参列者一同の先祖精霊供養を賜りました。

 帰宅して、最乗寺様からの回向證と成願寺様から頂戴した新茶を淹れて仏壇に供えました。私が仏教徒としてこれからの日々をどう過ごしていくかを考える有り難い一日でした。

 方丈様、ご随行のお坊様方に感謝申し上げ、大法要拝登のご縁に心より御礼申し上げます。 合掌

 

 

『最乗寺開山了庵慧明禅師大遠忌供養会に参列して』

檀家 中村克子

 

この日のために、七年余も費やして準備されたという大遠忌供養会に開山禅師様の時代等全く想像もつかず、お経もよく解らない私は、参列するという事だけで身の引き締まる思いで、成願寺参拝団150人の一人として大雄山最乗寺に行ってまいりました。

 本堂左手の石段をたくさん登ったところで、杉の大木の林を背景に多くの堂塔があり、近くにある小さな滝からかすかに水の音が聞こえます。杉と水、自然と融合したお寺、それが大雄山最乗寺でした。

 その堂塔の一つ、大天狗、小天狗を両脇侍に奉祀し、その横に赤い大きな下駄がたくさん並べてある御真殿では成願寺参拝団一同に対して大勢のお坊様方が「般若心経」をはじめとするお経を唱え「家内安全」「身体健全」「諸縁吉祥」のご祈禱をして下さいました。焼香の後、導師様が一人一人の頭上に洒水(しゃすい)をして下さり(心身を清浄にするためのことと後で知りました)とても有り難く幸せな気持ちになりました。御真殿を出たところの斜面に西洋しゃくなげの赤い花と白い花が二輪ずつ咲いているのを見つけ、なぜか心から離れませんでした。

 いよいよ御開山大遠忌供養の始まりです。「午時献供諷経」(ごじけんぐふぎん)に成願寺住職の方丈様が焼香師としてお勤めになられるため上殿されました。静寂な中に儀式は進行していきます。私の席から方丈様が御開山様にお茶等を供する様子がよく見えませんでしたが、自分なりに想像して心にしっかり刻みました。大勢のお坊様の行道のあとで、方丈様は石附周行山主様の御希望で掛けられたというお袈裟の話をされ、そのお袈裟をはずして広げて見せて下さいました。初めて拝見する素晴らしいお袈裟でしたが、もっと近くで見られたらと思いました。

 その後、最乗寺山主様をはじめ大勢のお坊様が成願寺参拝団のため先祖供養をしてくださり、各々に回向證をくださいました。

 滞りなく供養の行事が終わり、客殿で色とりどりの精進料理を全員でいただき下山しました。

 思えば、今回の最乗寺開山大遠忌供養は五十年か百年に一度の大儀式とのこと、このような機会は私の生存中に二度と体験できないことです。参加できましたことは心から有り難く、元気で行ってこられたことに感謝しております。   合掌