大雄山最乗寺(小田原道了尊) 御開山了庵慧明禅師六百回大遠忌

『焼香師のお勤めを終えて』

 成願寺三十四世 住職 小林貢人

 

 

このたび、石附周行山主様はじめ山内ご一同様のご配慮と、東北北陸ほか遠近から御加担戴いた御寺院、そしてご多用を抱えながら忙中に閑を作って下さった檀信各家、観音奉賛会、関係方面皆様の御協力のもと、無事大遠忌のお役を勤め得、たいへん光栄に存じおります。

 ただいまお香を浴びて頂いた御開山禅師の孫弟子に、第五世舂屋宗能(しょうくそうのう)禅師が居られる。禅師は一人娘小笹が夭折、悲嘆に暮れた中野長者鈴木九郎の心を救い、十二社池畔にお堂を建てた。これが成願寺の始まり、時に永享10年(1438年)。  月日を重ねた今、たまたま私が住職を仰せつかっており、その仏縁で本日拝登いたしました。

 成願寺に長い時を経たお袈裟が三肩あります。明治初期の上地令、神仏分離による混乱、そして昭和の大空襲をくぐって護り伝えられたものです。御開山ご着用、室町時代の袈裟は傷みが激しく、今日は元禄時代に作られ大正時代の住職高崎宗禅老師が補修された、このお袈裟を掛けさせて頂きました。

 私たちは大自然の中、互いに絆また絆がれつつ成り立った人間社会に生きております。自分が生きるには、他人も生きなければいけない。

 難しいのは集団になった人間・民族で、他を圧倒し滅ぼして自らが生きていく論理、歴史も厳然としてある。平和のための聖戦と唱えます。また個人の世界、家族の世界でも抗争が日常茶飯事で、これらを少しでも調停したいものです。それには他を排する信仰でなく、仏教の寛恕(かんじょ)の心で当たるしか有りません。

 縁と絆の功徳、縁は空間時間で出会う世界で、絆はその中から自分で探ってゆくものと考えます。

 父母恩重経で、父に有らざれば毒の命を堕すことを知らず、母に非ざれ薬の病を救うことを知らず、と仏様はおっしゃっています。まさに人の智慧・文化伝承の源泉で、その学びを一朝一夕ならず百朝千夕と重ね、自らの絆を把かんで行きなさいと諭されたのでしょう。

 温故知新、これからも時々このお袈裟を掛け、積み重なる歴史の重みと大海の如き衆の功徳を味わい直し、人、社会そして寺への報恩を少しづつ進めなければと存じおります。

 本日は有難うございました。心よりお礼申し上げます。    合掌