秋の観音詣り 説教

「実践する仏道」

           静岡県 栄林寺 住職 櫻井孝順

 

 

 本日はご参拝いただきましてありがとうございます。私は平成5年にこのお寺の住職になりまして、17年になります。その間、今日で192回を数えました『福寿会』という集まりを毎月一回つとめて参りました。

 住職となりました時、何か地域の人たちと縁を結びたいと思いまして、近所の方々に相談申しましたら、「ひとりだと、なかなか話す相手がない」。「おいしい物を作っても、ひとりじゃおいしく感じられない」という声が聞こえてきました。それならば月に一回みなさんの話を聞いたり、一緒に食事をいただこうと思い、この会をはじめたのです。

 私は物心がついた頃より、台所に立つ祖母の姿を見て育ちました。お寺の台所は、仏さま、檀家の方々、ご参拝の方々のお膳を用意させていただく場です。その用意をする祖母のかたわらで、私はすりこぎを持ったり、お茶わんを並べたりしました。仏さまに、また人さまにお膳を用意する、食事を整えるというその尊い行ないを間近で見て育ったわけです。

 大本山永平寺に修行に上がりますと、最初のお役が、典座(てんぞ)、つまり台所係りでした。曹洞宗には「典座教訓」や「赴粥飯法」という食に関する御教えがございますように、大切な修行の一つとされています。毎朝早い時間から、仏さまに、人さまにこころをこめて工夫を重ねてお膳を用意する。こうした経験が、現在の福寿会へとつながらせていただけているかなと思うわけでございます。

 このお寺に奉仕に来てくださる方々は、だいたいの時間を申しますと、30分も前にみえる方、また、遅くみえても最後の片づけまでやっていく方、それぞれ自主的に菩薩のつとめをしてくださいます。早くみえた方は、あとからの方に一服のお茶を煎じようと、まず湯を沸かすことからはじめ、そして掃除をして、当たり前のこととしてお迎えされる。一日の最後の仕事が『お手洗い』の掃除で、自分たちの使った『お手洗い』を、自分たちできれいに整えてくださる。誰が、おれがということではなく、みんなでやっていただけることは本当にありがたいことと思います。

 平成14年に大本山永平寺を中心に道元禅師七百五十回大遠忌がつとめられ、私も7年の間、お役をいただいて上山しておりました。先般(平成201月)亡くなられた宮崎奕保禅師が、「ありがたいのは経本に書かれていることじゃない。自分のからだで行なうこと。それが仏道だよ。みんなのつとめは尊いもんだ。」と常日頃聞かせてくださいました。お釈迦さま、両祖さまの御教えは、経本に書かれている以上に、綿々とつながって現在にいたっているわけでございます。

 先ほど山門をくぐられた際にご覧になったかと思いますが、頭の上に大きな箒がかかっていて、びっくりされたのではないかと思います。

  掃けば散り払えばまたも塵つもる

  庭の落ち葉も人の心も

 今日もまだ暗いうちから、ご奉仕の方々は箒を持って、散ってしまった桜の葉を掃き清めてくださいました。一本の箒がご縁となって、早起きをして、お寺を訪ねていただくことが仏道であります。

 または毎日3分でも5分でも、仏壇の前に坐して手を合わせる。こうしたことを実践していただきますと、また次の世にも仏道がつながっていくのかなと思っております。

 本日は観音さまにお導きをいただき、ご参拝ありがとうございました。みなさまのご多幸を心からご祈念申し上げます。      合掌